かつての硝石工場群が衰退しゴーストタウンとなった2つの町
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、チリ北部にある旧硝石精錬所群である。ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群は、そこに集まった労働者たちが独自の共同体文化を築いていたことや、産出された硝石が南北アメリカ大陸やヨーロッパの土壌を肥沃にする上で寄与し、同時にチリにとっての重要な収入源となっていたという歴史的な意義などが評価され、2005年にユネスコの世界遺産に登録されると同時に、危機遺産にも登録された。
ハンバーストーンとサンタ・ラウラは、チリ北部のタラパカ地方、アタカマ砂漠にある町イキケの東方48kmに位置している。
チリのほかの硝石工場群には、チャカブコ、マリア・エレナ、ペドロ・デ・バルディビア、プエルマ、アグアス・サンタスなどが含まれる。なかでもチャカブコはピノチェト政権下で強制収容所として使われたという特殊なケースであり、今なお未撤去の地雷が周囲には埋設されたままである。
グイジェルモ・ヴェンデル硝酸塩抽出会社は、1872年に当時ペルー領だったサンタ・ラウラに硝石工場群を建てた。同じ年にジェームズ・トマス・ハンバーストーンは、ペルー硝酸塩会社を設立して、ラ・パルマに工場群を建てた。どちらの工場群も急成長し、それぞれの一帯はイギリス様式の洒落た建造物群が並ぶ賑やかな町になった。これらの地域で産出された硝石は、化学肥料の原料として、南北アメリカ大陸のみならず、ヨーロッパ大陸の土壌を肥沃にすることにも貢献した。